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これは、ボクの話ではない。彼女は彼と、その道をストラトフォードに向かっていた。雨は、頻(シキ)りに、車を打ち、時に激しく、時に穏やかに降っていた。オックスフォードを越えて刈り入れの済んだ麦畑の田舎道を進むと、落ち着いた石造りのバーフォードの街並みが姿を現して、二人の緊張は幾らか緩んだ。雨は、まだ、止む気配はなかった。
やがて、二人は、チッピング・カムデンに到着した。そこは、コツウォルド文化圏(別名、羊が原)と言い、17世紀に羊毛産業で栄えた地域で、なだらかな丘陵地帯が広がっていた。その通りには、バーフォードとは、又、趣の異なる石造りの町々があり、独特の風合いを醸(カモ)し出しているのだった。彼女が、この旅に彼を誘ったのは、要するに、このストラトフォード街道の石造りの民家をじっくりと探訪したい、という想いからだったのである。
夏の雨は上がっていた。元々、イギリスの建物は17世紀ごろまで、一部を除き、木造であった。オックスフォードやケンブリッジは中世に建てられたカトリック時代の石造りの教会群ではあったが、それは例外的なものであり、ロンドンでさえ、1666年の大火まで、その建物のほとんどは木造建築物だったという。これを契機に、イギリスでは都市の耐火煉瓦(レンガ)建築と石造り建築が一気に進んでいった。その流れは、次第に地方へも広がっていった。産業革命が、それを後押しし、地場産業の発達と共に、流通路沿いの民家の建て直しが進み、景色は一変した。通りには、個性的な石造りの家々が軒を連ね、長閑(ノドカ)な田園風景の中に懐かしい静かな佇(タタズ)まいが残っている。
彼女は車から降りると、雨上がりの街並みに溶け込むように歩道を進み、灯りの点いていない常夜灯のところまで行くと振り返り、家々の様子を興味深く見て、写真を撮り、又そろそろと車まで戻ってきた。そうして、二人は、通りの片隅のカフェで軽食を摂ると、薄日に光る道を、再び、目的地に向けて出発した。彼女の旅の最後の目的は、実は、ストラトフォードにあるウィリアム・シェークスピアの妻の生家に行くことだった。その家は建築としては、かなり有名な木造建造物で、16世紀のチューダー様式を今に伝える貴重な建物なのであった。
その後、二人が、どんな珍道中をしたのか、ボクの預かり知るところではない。ただ、この旅行の結果、結婚し、やがて、離婚し、それぞれ建築士として成功している、ということである。雨降って地固まる、とは限らないが、人間万事塞翁が馬。