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それは、あの「夜明けのスキャット」がラジオから流れていたころに遡る。未だ、世情は学生反乱の余燼(ヨジン)が収まらぬ騒然とした空気の中にあり、既に大勢は決まっていたにもかかわらず、世論は左派に同情的で、70年決戦を暗に示唆、支持していたが、はっきり言って、それは無意味であった。事態は一向に、風雲急を告げる風には進展せず、学園封鎖で1年間有単位休学となった一般学生を中心にシラケムードが充満し、紛争当事者同士だけによる茶番劇が繰り広げられる中、既成左翼も、新左翼各セクトも、急速に自滅・解体の道を歩んでいった。戦後民主主義を支えた論客たちも、表舞台から姿を消し、一方で、体制側は万博に熱狂して、国民の動員に成功し、新興勢力であるソニーなど電機家電メーカー、それに関連して隆盛著しい特撮映画・アニメ・SF作家などにも支持を広げ、さらに広範な保守地盤の構築に成功した。
しかしながら、この勢力図の地滑り的変化が意味するものは、保守側の政治的勝利ではない。これは、世代間格差に類する問題であり、価値観の相違から生じる考え方の変化であり、その根底には、科学技術的なパラダイムの転換という世界史的な流れが存在していたのである。その技術革新は、既に、60年代、東西両世界において、パワー・エリート層の寡占支配を許し、体制の経済構造を均衡させ、社会階層そのものの近似的同一化を進行させ、両陣営は政治支配構造を除き、類似するシステムに変質していった。この間、技術革新はさらに進み、80年代、アルヴィン・トフラーは、この著しい進展を、「第3の波」と呼んで来たるべきデジタルの時代を予言した。時代は変わり、マネタリズムがやってきた。水ぶくれの経済が始まった。富を得た者は富み、さらに富み、その他の下々の者たちにはトリクル・ダウン(?)。そういう構造のそういう結末。そして、ソ連圏が崩壊し、アメリカの一極支配が終わる。世界の富裕層は僭主化し、民主主義は空洞化の道を余儀なくされ、時代は進路を見失ったまま、パンデミックに突入した。