幸運の輪[Wheel of Fortune];煉獄への誘い その4


 蝶たちは、海を渡る。飛翔し、乱舞し、群れながら、海上の空を行く。そこには、蝶たちにしか、知り得ない見えない航路がある。大空が魅惑する魔性の、秘密の通路(ミチ)が。

夏は、差し当たって、炎暑である。地球上の、半分は、つまり、北半球は著しい渇水状態となっており、水が、液体が、喉(ノド)を潤すそれが、今、地を這(ハ)う全ての生き物たちに、悉(コトゴト)く必要なのだ。NY(ニューヨーク)市の昔からの住民に言わせれば、つまり、年寄りに言わせれば、あの時程では無いが、あの時以下でもない、偶然に弄(モテアソ)ばれ、操(アヤツ)られ、ただ、踊りを踊るマリオネットになってしまった自分たちの姿を、今、又、鏡に映しているだけなのだ、と言うしかない。それが、現実だ、と。

アパートメントの窓から競(セ)り出したバルコニーに咲く一対のサボテン(仙人掌cactus;花言葉:忍耐endurance, ardent love)の花だけが、何かしら囁(ササヤ)き合う命あるものたちの微(カス)かな希望の光であり、心の灯(トモシビ)なのであった。

情景は、かくも変容し、変貌し、変幻していた。同じ場所に同じ建物が建っている。確かに違うものもある。しかし、何かが、同じなのだ。そこには、しかも、朽ち果てた20世紀も残存している。もはや、情景はバラックの寄せ集めなのであって、その不定形のコンクリートと金属とガラスの集積群は未来化する廃都を蘇生し始めていた。マンハッタンのビル群は夕暮れの大気に沈み、空は低く、靄(モヤ)が垂れ込め、ブロンクスには人影もなく、灰色に煙るハドソン川に行き交う船も疎(マバ)らであり、新世紀の栄(ハ)えある未来都市と期待されたNYは、愚かにも、既に、澱んだ沈滞の中に蹲(ウズクマ)っているのだ。気候変動は21世紀の解決済みの課題のはずだったが、その議論は、どういう訳か、棚晒しのまま、見捨てられそうになっていた。

世界は、夏の終わりを迎えようとしている。終焉である。世界は、終焉しようとしていた。些(イササ)か、気の早い退場である。舞台は、幕が上がったままだったが、役者は誰一人見当たらなかったし、そこには、一人の視線も感じられなかった。ただ、眩しい沈黙だけが輝いていた。“エンターテインメントは終了しました。”電子音が不釣り合いな女性の声でアナウンスした。それは、デモクラシーの終焉であり、不都合な真実の終演であって、都合の良い、迎合的な乖離(カイリ)主義への融合が始まったことを告げるものであった。

22世紀は遺伝子情報工学の世紀となった。後には戻れない、行き詰まりの未来が約束されていた。“エンターテインメントは終了しました。”そうかもしれない。思い違いは、誰にでもある。だが、AIにも思い違いはあるのか?少なくとも、今日(コンニチ)の機械には、ある、否、あった、のだろう。DNAに刻まれたすべての情報が解読され、編集され、登録され、加工可能となって利用される時代となっても、ヒトは、緩慢な時空の流れの中に取り残され、ただ、茫洋とした幻想の中をはい回る存在でしかあり得ないという現実からは逃れようがない。どこに出口があるのだ!

世界は明滅する光の渦中にある。

邪(ヨコシマ)な思いつきが軽い倦怠感を誘う。痴性は死んだ。機械は考える。罪とは、何か?何故の審判か?絶えず、絶え間なく、揺れ動き、混濁していく社会。騙し、騙されるを反復する、人間の脳。錯覚が錯覚を呼ぶ、都市の構造的迷宮化。あらゆるものの矛盾を内包し、肯定し、否定する時間軸のラグが引き起こす物理的、観念的衝突。これでは、いくら正確無比の電子脳と言えども、一つの、唯一の答えを導き出すことは無理、不可能である。

古(イニシエ)の未来、永久(トコシエ)の過去。矛盾は世界の本質である。

思考の断片が衝突を繰り返し、地上へと散り散りに墜ちていった。声は笑っている。ドローンの先端のスピーカーからそれは響く。空中を飛び交うその機械たちの様子をカメラは追っていく。いくつものドローンが上昇し、下降し、旋回し、停止する。ビルとビルとの空間を機械たちは、行きつ戻りつを繰り返しつつ、移動していく。思考は乱舞し、接近しては離れ、離れては接近する。何を考えているのか?目的は何か?ただ、猛然と時間だけが消耗していく。

海は近づいていた。星々が夜空いっぱいに広がり、風は心地よく、空気は嫋(タオ)やかで穏やかだった。振り返ると、もう、あの過去に蝕(ムシバ)まれた大都会の錆び付いた風景は遠くに消え去っていた。まだ、あそこで暮らしている人々がいる。それを想うと、複雑な気持ちではある。だが、何もできない。それが現実だ。

物語の終わり。ただ、立ち止まる。自分は誰だったのか?そっと、手のひらを見て、そこに何を握っていたのか、確かめてみることが、出来るだろうか?今は、もう、何も、無い。

蟹たちの産卵は、街の通りを横切り、海辺の波打ち際にたどり着くころには、渚は夕映えの静けさを取り戻していた。人々が去って久しい海浜都市には、風に揺れる南洋の植物たちが不埒な者たちの置き土産を覆いつくしている。
2020年05月11日
Posted by kirisawa
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