HOME > ショートコラムの憂鬱 2020 part 2 最近の投稿 不思議の国の高度理系人材の不足 2 不思議の国の高度理系人材の不足 1 ショートコラムの憂鬱 2022 part 2 知らず語りのレトリック。 幸運の輪 [wheel of fortune];煉獄への誘い その11 アーカイブ 月を選択 2022年12月 (1件) 2022年11月 (3件) 2022年10月 (3件) 2022年09月 (12件) 2022年08月 (4件) 2022年07月 (3件) 2022年06月 (10件) 2022年05月 (4件) 2022年04月 (2件) 2022年03月 (2件) 2021年12月 (7件) 2021年11月 (7件) 2021年10月 (9件) 2021年09月 (3件) 2021年08月 (10件) 2021年07月 (5件) 2020年11月 (10件) 2020年10月 (6件) 2020年09月 (8件) 2020年08月 (11件) 2020年07月 (12件) 2020年06月 (15件) 2020年05月 (11件) 2020年04月 (3件) 2020年03月 (11件) 2020年01月 (3件) 2019年12月 (3件) 2019年11月 (9件) 2019年10月 (5件) 2019年09月 (5件) 2019年08月 (5件) 2019年07月 (7件) 2019年06月 (6件) 2019年04月 (1件) 2019年03月 (5件) 2018年12月 (4件) 2018年11月 (1件) 2018年08月 (2件) 2018年05月 (2件) 2017年11月 (1件) 2017年08月 (1件) 2017年06月 (2件) 2017年05月 (1件) 2017年04月 (2件) 2017年03月 (3件) カテゴリー カテゴリーを選択 コンピューター AI トピックス ドイツ ネコ 世界 人 占い 哲学 地球 宗教 工学 心理学 手塚治虫 文学 歴史 環境 生活 生理学 真理 社会 神聖ローマ帝国 科学 経済 自我と人格 言葉 言語 近代ドイツ 運命 音楽 ショートコラムの憂鬱 2020 part 2 ボクは、現在、「近代ドイツ・シリーズ」という非常に格調の高い、難しい、難解な歴史ものに携わっているのだが、書いていてまとまりがつかなくなるほど、情報量が多いのが難点である。これまで、いろいろな人物を書いてきたが、今回のフォイエルバッハには、ちょっと個人的な興味もあり、ここでも少し触れてみたい。 僕の興味は、要するに、フォイエルバッハという人が、初めて、人間存在、実存という概念に近い考え方に到達した、と言うだけでなく、自身、極めてヒューマンな人物であったことである。それは、神とは、愛そのものであり、人間自身なのだ、という人間中心の誠実な考え方に表されている。哲学上の鯱張った議論はともかく、彼の残した足跡を辿ってみるのも一興かもしれない。 尚、哲学的センテンスのお好きな向きには、以下の文を。 彼は、身体・人間・精神を物理的統一体と捉え、主観・主体は他の主観・主体と相対して初めて生じ、それは汝を予想するものであるとし、しかし、また精神ではあり得ないことを述べたうえで、人間は、社会的存在、歴史的存在、生物学的存在であり、愛に満たされているものであって、即ち、神自身である、とした。そして、宗教の価値を認め、それは新たな哲学から創始されるべきである、と結論した。彼の言うところの真理とは、心理学でも生理学でもなく、人間学であり、さらに、生理学を包括した人間学を普遍学と位置付ける。この舌足らずの体系は論理的に未完成と言うしかないが、もし、次代に継承されていれば、また違った展開もあっただろう。 トピックス 哲学 2020年03月23日 Posted by kirisawa 戻る
僕の興味は、要するに、フォイエルバッハという人が、初めて、人間存在、実存という概念に近い考え方に到達した、と言うだけでなく、自身、極めてヒューマンな人物であったことである。それは、神とは、愛そのものであり、人間自身なのだ、という人間中心の誠実な考え方に表されている。哲学上の鯱張った議論はともかく、彼の残した足跡を辿ってみるのも一興かもしれない。
尚、哲学的センテンスのお好きな向きには、以下の文を。
彼は、身体・人間・精神を物理的統一体と捉え、主観・主体は他の主観・主体と相対して初めて生じ、それは汝を予想するものであるとし、しかし、また精神ではあり得ないことを述べたうえで、人間は、社会的存在、歴史的存在、生物学的存在であり、愛に満たされているものであって、即ち、神自身である、とした。そして、宗教の価値を認め、それは新たな哲学から創始されるべきである、と結論した。彼の言うところの真理とは、心理学でも生理学でもなく、人間学であり、さらに、生理学を包括した人間学を普遍学と位置付ける。この舌足らずの体系は論理的に未完成と言うしかないが、もし、次代に継承されていれば、また違った展開もあっただろう。