ショートコラムの憂鬱 2020 part 2 


ボクは、現在、「近代ドイツ・シリーズ」という非常に格調の高い、難しい、難解な歴史ものに携わっているのだが、書いていてまとまりがつかなくなるほど、情報量が多いのが難点である。これまで、いろいろな人物を書いてきたが、今回のフォイエルバッハには、ちょっと個人的な興味もあり、ここでも少し触れてみたい。

僕の興味は、要するに、フォイエルバッハという人が、初めて、人間存在、実存という概念に近い考え方に到達した、と言うだけでなく、自身、極めてヒューマンな人物であったことである。それは、神とは、愛そのものであり、人間自身なのだ、という人間中心の誠実な考え方に表されている。哲学上の鯱張った議論はともかく、彼の残した足跡を辿ってみるのも一興かもしれない。

尚、哲学的センテンスのお好きな向きには、以下の文を。

彼は、身体・人間・精神を物理的統一体と捉え、主観・主体は他の主観・主体と相対して初めて生じ、それは汝を予想するものであるとし、しかし、また精神ではあり得ないことを述べたうえで、人間は、社会的存在、歴史的存在、生物学的存在であり、愛に満たされているものであって、即ち、神自身である、とした。そして、宗教の価値を認め、それは新たな哲学から創始されるべきである、と結論した。彼の言うところの真理とは、心理学でも生理学でもなく、人間学であり、さらに、生理学を包括した人間学を普遍学と位置付ける。この舌足らずの体系は論理的に未完成と言うしかないが、もし、次代に継承されていれば、また違った展開もあっただろう。
2020年03月23日
Posted by kirisawa
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