Bloody Elegance Sudden 4


Bloody Elegance Sudden 4

記憶というものは、寧ろ、未来のために存在し、過去を、ただ単に投射するために生じるものではない。しかし、それは、教訓とは呼べぬ、治癒し得ぬ傷に近い。

Sudden 4

ワーテルローに敗れたナポレオンであったが,それでも尚且つ,アメリカへ仲介を依頼しようとしたり,仇敵イギリスに亡命をしようとしたり,醜態をさらすことになったのも彼が自分が偉大な人物であるとの思い上がりによるものであり,現実を受け入れる自覚も無かったからである。皇帝は,未だ架空の夢想空間から一歩も出ていなかった。彼自身がどのように足掻(アガ)いても,ウィーン会議の神聖同盟の決定を覆すことは不可能であり,その進退はイギリス首相ロバート・バンクス・ジェンキンソン(Robert Banks Jenkinson 1770.6.7.-1828.12.4.)に委ねられることになった。

ナポレオンはそれでもなお,自分の漂泊の身の上を嘆くでもなく,過去の栄光の事蹟に中に生きる人生を選んだ。曰く,古代ギリシャで貝片追放されたアテナイの勇将テミストクレースに擬(ナゾラ)えて,敵国ペルシャに保護を求めた古(イニシエ)の例えを持ち出し,「余は,テミストクレースの如く,イギリス国民の中に居を定めんとして来たる者なり。余は,イギリスの法律の下に,身を置く。余は,このことを,余の敵国中,最も強大にして,最も堅実なる,又,最も寛大なる摂政殿下に要望するものである。」とイギリス政府に願い出た。しかし,時の国際関係は如何に先進国イギリスをもってしても,ナポレオンの申し出を是とすることは出来ず,イギリス首相ジェンキンソンはアフリカ,コートディヴォアールのアビジャンの南2500㎞,アンゴラのルアンダから西へ1800㎞のセント・ヘレナ島にナポレオンを流刑・軟禁することとなった。当時のセント・ヘレナ島は,喜望峰周りの帆船の航路の寄港地であり,それなりの商業地でもあったため,ナポレオンの脱出は不可能とは言い切れなかった。そのため,警備は一層厳しく厳重なものとなった。ただの絶海の孤島では無かったのである。

ところが,ナポレオンのイギリス上陸を拒んだトーリー党政府の決定に対し,各新聞は「心もとない処断」と批判し,ハプスブルクの神聖同盟に及び腰のジェンキンソン首相を非難した。イギリスでもナポレオンは絶大な人気を誇っていた。それは,資本主義の初期段階を迎えていたイギリスの民衆にとって,ナポレオンを英雄視するのは,保守的な議会に対する参政権の無い自分たちにとっての異見表明だったからであり,その意味で,ナポレオンは健在であったと言える。

さて,セント(聖)・ヘレナ(Helena 246,or250-330.8.18.)とは誰か?伝承によれば,彼女はメソポタミア,あるいは黒海とボスポラス海峡に接するビテュニアの出身と言われ,セルビアのナイッススの酒場の給仕女をしていた時にローマ皇帝コンスタンティウス・クロロス(Flavalerius Constantius 250.3.31.-306.7.25.)の眼に留まり,その愛妾となり,次いで皇后となったという伝説的人物である。当時はまだ,キリスト教は禁教であり,彼女のような賤民,下層市民の間に流布されており,その多くは既に信者であった。確かなことは分からないが,ヘレナもその例外ではなかったのだろう。その息子コンスタンティヌス大帝(Gaius Flavius Valerius Constantinus 270年代の2.27.-337.5.22.)は斯かる事情からキリスト教徒にも寛容だったと想像できる。彼は宿敵リキニウス(Flavius Galerius Valerius Licinianus Licinius 263?-325)との最終的な党争に勝利し,帝都コンスタンティノープルを建設し,ローマを統一し,312年頃,「ミラノの勅令」を発布し,事実上,キリスト教をなし崩しに,公認した。

セント・ヘレナ島は1502年5月21日に,ポルトガルのジョアオ・デ・ノーヴァ・カステルラによって発見された。初め流刑地として使われたが,1600年頃には,無人になっていたこの島にオランダ人が植民し始める。1650年にイギリス東インド会社が寄港地として眼をつけ,南アフリカのケープタウンと交換協商でオランダからイギリスへ所有権が移り,イギリスはジェームズタウンの町を築き,要塞もその時,建設された。1666年のロンドン大火後には,火災で財産を失った市民が移住し,島の開拓に従事したという。19世紀半ばには,人口は7,000人ほどに達したが,スエズ運河の開通によって,この航路は廃れ,人口も3,800人にまで減少した。島名は,発見の日が聖ヘレナの日だったことに由来する。
2022年09月01日
Posted by kirisawa
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