Bloody Elegance Sudden 3


Bloody Elegance Sudden 3


記憶というものは、寧ろ、未来のために存在し、過去を、ただ単に投射するために生じるものではない。しかし、それは、教訓とは呼べぬ、治癒し得ぬ傷に近い。

Sudden 3

ジョージ・オーウェル(George Orwell 1903.6.25.-1950.3.21.)は「1984年」で有名な作家である。彼は19世紀からの還元主義的統合思想が招く未来のディストピア,集権管理社会について早くから疑問を呈し,警鐘を鳴らした先験的作家であった。それは国民国家にありがちな人間(国民)を平準化して,個人の独立をなし崩しに一律の型に嵌(ハ)める人間疎外という人権圧殺の危険性に気づき,多数専制というポピュリズムの出現をも予見し,現代にも通じる大衆較差社会の到来を告知したものだった。

オーウェルは,大英帝国(グレート・ブリテン連合王国)の植民地インドの下級官吏の子として生まれ,彼自身に言わせれば,経済的に恵まれぬ育ちであり,上流中産階級の寄宿学校に奨学金を得て入ったこと自体,大きな間違いだった,という。それ故,その私立予備校聖シプリアン校での屈辱的体験を「あの楽しかりし日々」という皮肉を込めたエッセイに認(シタタ)めている。そして,さらに奨学金を得て,名門イートン校に進んだオーウェルだったが,オックスフォードやケンブリッジには進学せず,自分の出自に合った職業に就くことを決め,警察官となり,ビルマに赴任していった。

だからといって,オーウェルが母国を嫌っていたわけではない。彼は郊外に広がる穏やかで変化に富んだその丘陵地帯を愛してやまなかったし,又,その礼儀正しい慣習にも誇りを持っていた。確かに,インドに生まれた彼は生粋(キッスイ)のイギリス人とは言い難い,何か中途半端な存在であったが,それが,彼に客観的世界を俯瞰(フカン)する目を養わせたのかもしれない。19世紀,既に世界帝国だったイギリスでは,空前の読書ブームが起きていて,大衆の識字率も上がり,20世紀に入る頃には,新聞・雑誌の購読者も増え,最新の情報を得る社会の要請に応えるべく,ジャーナリストと呼ばれる記者たちによるルポルタージュが持て囃されていた。その中に取材に走り回るオーウェルの姿もあった。

1936年,スペイン内戦が始まると,オーウェルは現地の前線に赴き,その動静の一部始終を新聞に掲載させ,人民政府を支援する報道を行った。そして,1937年1月には,自身も世界革命思想を持つトロツキスト集団に加わって,戦闘にも参加したが,5月には銃創を受け,バルセロナに後退する。しかし,そこで,彼が目撃したのは,スターリニストによるトロツキストの排除という,ソ連の現実に左右される人民政府内部の“前衛”と呼ばれる人々の醜い主導権争いとセクショナリズムだった。6月,オーウェルはフランスへ脱出し,身を持って体験した急進的イデオローグ集団同士が抗争を繰り返しながら,“粛正”という名のもとに,互いに排除・分裂して,弱体化していく左翼の現実に辟易し,それらの人々の愛憎と欺瞞という人間の最も愚かな一面を思い知らされる結果となった。

 彼の眼差しは,フランス革命以来の国民主権国家の政治的脆弱さと機械化されていく野蛮な資本主義の強権的発展の狭間で,人々は狼狽(ウロタ)え,時流に流されるままの知識階級の動揺と混乱を尻目に,自滅の道を辿る革命勢力の内部に巣食う相互不信と自己欺瞞を根源的に問うものに変化していった。人々は,皆,十字架に架けられた人と同じであり,その罪と罰は自ら裁くしかない,という境地にオーウェルは,辿り着いていた。1945年,「動物農場」を脱稿,スターリンを見立てたナポレオンという豚を主人公に,ロシアのボルシェビキの革命の顛末を独特の語り口で描き,革命の美名の下に,繰り広げられる権力闘争の実態がどのようなものかを解き明かして見せた。ナポレオンは,動物たちを飼育し,不当な扱いをする人間たちを,力を合わせて農場から追い出し,農場を解放して動物たちの自由な楽園とするが,そこには,すでに権力を自分のものにしようという野心を抱く豚たちの悪意ある闘争が始まっていた。そして,その激しい闘争を戦い抜いたナポレオンたち豚は,人間と同じように二本足で歩き始め,革命のスローガンであった「四本脚は正義,二本足は悪」というプロパガンダは忘れ去られ,動物たちは新たな支配者となった人間化した豚や犬たちに追従する元の生活に戻ってしまう。この作品は彼の最高のベストセラーとなった。

 その年,二度目の世界戦争は終結し,世界の再建と再編が始まった。アメリカとソ連の境界に位置する国々では,両者の陣取りゲームが続き,世界は両勢力に二分される運命を辿り,原爆開発に成功した国々に地球の前途は握られ,二つの経済圏が支配する時代が始まった。オーウェルは,急速な機械化によって政治的思惑を超えて現代化していく世界を見て,1950年代の何時か,核戦争が起き,その戦後,世界は資本主義とも社会主義とも附かぬ三つのブロックに分かれ,対立・拮抗して相互の危うい均衡を維持している,という設定で,次に来る時代を展望し,民主政治の荒廃した全体主義の集権管理社会を予見するようになっていた。オーウェルの眼には,民主主義の崩壊過程である経済破綻する福祉国家の末路が写っており,選挙制度の形骸化した近未来では,情報統制が正当な権利として多数党に与えられており,少数派は多数党に異議を唱えないという暗黙の了解の下,その存続を許容されているに過ぎない,と彼は結論した。

 「1984年」はそうしたオーウェルの予見に基づいて創作されたディストピア小説である。三つのブロックの一つであるオセアニアのロンドンに暮らす“真理省”に勤務する青年が主人公で,自分たちに隠された“体制”の真相を知ろうとしたが故に,最後は,警察国家である“体制(党)”への反逆者として逮捕され,“愛情省”の101号室で尋問・拷問を繰り返し受け,”党“への服従と自らの罪を認め,心から”党“を愛し,処刑の日を待つようになる,という結末である。

この不幸な本編にあとがきとして,「ニュースピークの諸原理」が付加されている。ニュースピークとは,オセアニアで使用されている英語を基本にした言語で,様々なアナグラムや比喩を含む俗語であり,それで記された後日談には,やがて,すべては歴史の彼方に消え去り,いつか自由なユートピアが実現する日が来るかもしれないことが暗示されて終わる。
オーウェルの空想した世界は,実はボクたちのこの混沌とした近未来の姿であるかもしれないが,人間の”知“の限界を示すものではない。未来には,様々な困難や苦境があるだろうが,人間は,きっとそれらの難題を克服し,自由を手にできる。彼は理想を捨て去ることは無かった。

オーウェルの死は突然やってきた。1950年1月21日,肺動脈破裂。大量の吐血が彼の命を奪った。46歳。早すぎる死だった。
2022年09月01日
Posted by kirisawa
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