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大人になって分かったことは,他人のことに口を挟まない,見て見ぬ振りをすることだった。心の神は何処に行ってしまったのか?他人の境遇に目を瞑(ツム)る人々は,自分もいつか同じ立場に立つことを怖れているのかもしれないが,それを理由に生活に苦しむ人々を蔑視したり,当たり障りなく見過ごすのは卑怯であり,情けない限りである。などと力んでみても,まず,自らが立ち上がるべきだろう,と言われてしまう。生活にゆとりのある人は別として,誰彼とできるものではないことぐらいは,もう判る。しかし,心の声は,それでいいのか,と,問い続ける。人間,目の前のことを処理するので手一杯なのか?
しかし,未来は幸福を共有できる社会に変えていかなければならない。諦めてどうする!将来の目途として,貧困に喘(アエ)ぐ家庭の子供たちにも社会に必要なスキルを身につけられる制度と仕組みを今から構築するための議論をすべきだろう。能力偏重の考え方も改めなければならない。どんな人間でも幸福に自由に平和に暮らせる社会にこそ,未来があるべきだ。効率化と,ともすれば,生産性だけに議論は集中しがちだが,未来は,より急ぎ過ぎない社会が求められていると,私は思う。競争のための競争は,もう止めよう。お互いがお互いを尊重し合える社会を作っていこうではないか。
ディジタル経済が浸透した未来の青年は,そう思った。弛(タユ)まぬ技術革新をもって,未来社会は完全に機械化・電脳化した社会となっていた。工場は無人化され,ロボットたちの仕事場となり,会社で働く人も疎(マバ)らとなり,学校の図書室にも人影は無かった。ただ,ディジタル・スポーツやゲームセンターには,若者たちの姿はあり,奇抜なファッションに身を包んだ女性たちが集って歩く光景が見られた。高層ビル街のタクシー・ポートからは自動化されたコネクテッド・カーが引っ切り無しに発進し,人々をリゾートへと運んでいく。そして,都市空間の一隅に残された,最大多数の最大幸福から見捨てられたスラムに,うらぶれた人々の暮らしが残存しているのだった。