国民国家の終焉と国際国家への移行


ルネサンスを経て、近代市民社会の成立をみるまでの間に、ナショナリズムのうねりがおこった。最も顕著だったのはイギリス、フランス、そしてアメリカだった。イギリスは議会制民主主義のヒナ型ができていたし、独立したアメリカも立憲主義に基づいた主権在民をうたった憲法を制定した。フランスは革命を経てナポレオン法典をつくり、法治主義を明確化した。こうした動きはヨーロッパ全域に波及する。ドイツにおいては、ナポレオン戦争直後、フィヒテが歴史に残る<国民に告ぐ>を発表し、グリム兄弟が民族に受けつがれてきた個々のエピソードを童話として編集したり、ナショナリズムの萌芽が見られ、後にプロイセンでビスマルクがドイツ統一を実現する基礎が築かれた。又、イタリアでもガリバルディによる統一運動がおこり、オーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)にも民族独立の波が押し寄せてくる。

こうしたナショナリズムの影響下に誕生したのが国民国家だった。民族自決をベースとしたプライド、伝統、文化、理念を主張し、唯一無二の国家像を描き、「国民」を教育し、作りだした。「国民」は国家のために、国家は「国民」のために、その相互作用によって運営されるのが理想とされた。しかし、資本主義の発展と産業革命がこれを変質させていく。

18C、自動織機の発明に始まるイギリスの産業革命は蒸気機関の発明で頂点を極める。工業の進展は農村より労働者を囲い込み、都市労働者を形成し始め、それを賃金生活者へ変えた。これによって、資本家と労働者階級との格差が明確になる。この現象が19C、ヨーロッパ全土に波及していった。ハプスブルク帝国のように多民族国家で国民国家への脱皮ができなかったために20Cになって崩壊した国家、ロシア帝国、中国など、又は植民地を手放さざるを得なかったイギリス、フランスは民族自決を受け入れるしかなかった。そして、階級闘争から社会主義という変質した国民国家となったロシア(ソ連)、中国では革命という一見画期的と思う理念の下、「国民」を再編し、新たな国民国家のありようを提示した。が、それも国家が生きのびようとする苦肉の策であったにすぎない。

20C、冷戦の下で国民国家は(この時点ですでに、アフリカもアジアもほぼ完全に独立している。)繁栄した。(Pax Russo-Americana)だが、2つの大戦の結果、新たな産業革命が始まっていたことに気づいた者はまだ少数だった。

情報革命は1960年代以降急速に顕著となった。初期段階は弾道軌道計算のためENIACが採用されcomputerの実用化に結びついたことだ。

次に通信衛星テルスターによるTV中継(live)で、日本への配信はケネディ大統領の暗殺だった。アルヴィン・トフラーのいう<第3の波>は着実に進展していった。GPS、インターネット、SNS、AIと、すべてこの30年の間に一般化したものだ。これによって「情報」の垣根はとり払われた。今ではクラウド方式によってネットはあらゆるものに直接、間接に結びつくようになり、その危険性についても指摘される。これをさらにAIの進化によってコントロールできれば夢のようなIT社会が実現するかもしれない。

「情報革命」により世界は一体感を強くもつようになった。スポーツ選手・アスリートはほとんど毎月国際大会に出場し、ミュージシャンやアーティストも国境をこえて集る。そのテーマも愛・平和・自由・人権と、世界人権宣言にうたわれた価値観の具現化を示唆するものが多い。We are the world、これによって文化はクロスオーバーし、generation gappものりこえ、感動に国境はない。地球規模での問題も、やがては戦争をも克服するためにも、この「情報革命」のさらなる進化を続けなければならない。

国境が最終的になくなり、移動・移住の自由が確立され、地球上のどこででも自由なeventが催される時代はもうそう遠くない。ボクらの世代ではまだかもしれないが、自由・人権・愛・平和の原則に同意できる人なら、隣人として、アフリカの人でも、モンゴル系の人でも、ヨーロッパやアメリカの人でも、いつでもやってこれる時代がくる。こうした地域を国際国家と言っていいと思う。21Cは国際国家への道を歩む時代であり、その結果として、22Cには地球連合政府が実現されることを期待したい。たとえ、Brexitが現実のものとなろうとも、anachronismのTrumpが逆行する政治を続けようとも、混迷と矛盾に充ちた時代が訪れたとしても、それは短い停滞を意味するだけである。ボクらの待ち望む真の未来は必ずやってくる。
2017年03月13日
Posted by kirisawa
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